光明寺について
光明寺の歴史

光明寺の歴史は、古くは1200年前の延喜式神名帳に記載された由緒正しき意富布良(大洞)神社から始まります。その神社はいつしか神仏一体神宮寺となり、室町時代には京都本願寺第八代ご住職の蓮如上人の教化によって、神社と寺院が分離されました。その寺院が光明寺の祖となる近江祖坊となりました。その後、いくつもの時を経て現在、京都本院の瑠璃光院、新宿瑠璃光院白蓮華堂のほか、東京町屋、千葉、埼玉、宇治に別院があります。
光明寺の活動












光明寺は、仏教の教えを中心に据えて、現代に生きる人々への心の安心を提供するために、厳粛な法事・法要の実施や、身近に大切な人を偲ぶことのできる霊園・室内墓所の運営、文化・芸術に触れ、仏教を身近に感じられるイベントなどの活動を、全国の寺院で行っています。
住職ご挨拶

無量寿山 光明寺は、浄土真宗の寺院として五百年以上の法統を今に受け継ぎ、今の時代を生きる人々に、仏教の教えを通じて「心のやすらぎ」をお届けすることを第一に考えています。京都本院 瑠璃光院を始めとする全国の寺院では、喧騒を離れ、静粛に身をゆだね、心静かに仏様と向き合える時間を大切にしています。また、年間を通じて盂蘭盆会、報恩講など様々な法要を厳修し、仏縁を結ぶ機会を提供するとともに、天候に左右されず、思い立ったときにいつでも大切な人を偲ぶことができる室内墓所や霊園を運営しています。
さらに、忙しい毎日の中でも折に触れ、気軽に芸術や文化、歴史に触れることができるイベントや仏教を易しく学ぶことのできる講座などを開催しています。光明寺は、歴史と伝統を守りながらも、現代社会に生きる人々の想いに応えるべく、常に新しい取り組みを続けています。ぜひ一度、お近くの光明寺へお越しください。皆様のご来山を心よりお待ちしております。
無量寿山 光明寺 住職 大洞 龍真
浄土真宗について
(親鸞聖人の教え)

浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人が開かれた仏教の教えです。誰一人残さず救うという仏様(阿弥陀如来)への信を得て「南無阿弥陀仏」の念仏を称える者は皆、極楽浄土に往生することができる。これは、厳しい修行をした聖者だけが悟りの世界に入れるというそれまでの伝統的な仏教とは違い、阿弥陀如来は、煩悩にまみれた者(凡夫)も、老少・男女・善悪・貴賤の差別なく、どんな者も見捨てることなく平等に救いの手を差し伸べてくださっている、という教えです。
阿弥陀如来に救われるとはどういうことでしょうか。仏教の教えでは、この世は「縁」という諸々の条件が絡み合って成り立っており、幸・不幸が起きるのも人の善悪の行為もすべて「縁」によるもので、自分の力で思い通りになるものは何もない、と考えます。人は、欲望や怒り・憎しみ、自我へのこだわりなどの煩悩にとらわれ、この世が自分の思い通りにならないことに、悩み苦しみます。諸行無常(すべてのものは常に変化してとどまることがない)、諸法無我(すべてのものに永遠不滅の実体はない)という真理を知ることにより、そんな自分の心が作り出す煩悩の闇から解放し、苦しみから救いに導いてくれるのが仏教の真理です。
それを親鸞聖人は、「無明の闇を破する光明」、「阿弥陀如来の本願」などと説かれました。阿弥陀如来への信をいただくということは、自我やこだわりを捨て、すべてを仏の真理にゆだねることです。これを「ご信心」といい、美醜や大小、善悪といった相対的な価値観に囚われた世界から、仏の真理という絶対的な価値の世界に身をゆだねることであり、生死(しょうじ)への囚われをも超える道です。「南無阿弥陀仏」の名号は、阿弥陀如来がすべての衆生を救うと手を差し伸べていただいていることの印(しるし)であり、お念仏を称えることはその如来の大悲に摂め取られていることへの感謝です。浄土真宗の教えは、今いただいているこの命の尊さに気づかせていただき、五濁にまみれた世の中に生きる苦しみを和らげてくれるものです。
法人概要

- 建立
- 室町時代
- 宗旨
- 浄土真宗
- 住職
- 大洞龍真
- 副住職
- 大梅万記子
- 本坊
- 岐阜市金竜町3丁目9番地
- 職員数
- 104名(内 僧籍者28名)
※2020年10月現在 - 在籍僧侶
- 154名
- 別院
- 京都本院 瑠璃光院、東京本院 新宿瑠璃光院、町屋光明寺、千葉光明寺、沖縄別院 琉球識名院、埼玉光明寺、近江祖坊(滋賀)